スタッフ全員で綴る連載コラム
Vol.182
2020年09月01日
初めまして。
4月からあおぞらで働かせていただいています、藤森です。
「コラムをお願いします」と言われて何を書こうか考えた時に、ここ最近じいちゃんのお墓参りに行けていないことを思い出しました。助産師になり、赤ちゃんの誕生の瞬間に立ち会わせていただく中で、家族との繋がりについて考える機会が増えたなあと感じています。せっかくなので、今回はじいちゃんとの思い出について書かせていただこうと思います。
産まれた時から一緒に暮らしていたじいちゃん。大工をしていました。
頑固で口数が少なく、タバコが大好きでした。
軽トラの後ろに私と弟を乗せて畑に行ったり(また乗りたいなあ〜)、家の屋根の上に乗せてくれたり(今は高いところが苦手です)、大工道具のカンナをいじって遊んでいても何も言わずに眺めていたり(削り節みたいなやつが出来ると思ったのに全然出来ませんでした)、大胆なじいちゃんでした。じいちゃんは実のなる木が好きで、よく買ってきては庭に植えてくれました。ただ勝手に買ってきて勝手に植えてしまうのです。それでよくばあちゃんが怒っていましたが、そんなのもお構いなしといった様子で、また新しい実のなる木が庭に登場していました(笑)
そんなじいちゃんも私が中学生の時に天国へ旅立ってしまいました。どんどん弱っていくじいちゃん。動けなくなり、会話もできなくなり、家が大好きだったじいちゃんは病院で亡くなりました。
私は大工の孫のはずなのですが、中学時代に作った椅子は脚の長さが揃わず、高いところも苦手で、かっこよかったじいちゃんの孫なのにこんなまんまるな顔に育ってしまいました(笑)じいちゃんから受け継いだものは何もなかった!と大きく頷きたいです。ですが産科で働くことに憧れ、助産師として日々働くようになって、ある意味助産師も職人みたいだな、と感じます。そんな時だけは「やっぱり私もじいちゃんの孫だな」と思えるようになりました。
じいちゃんが亡くなった後お母さんから聞いた話ですが、私がまだ赤ちゃんの時じいちゃんの姿が見えないなとお母さんが探すと、私の様子をそっと見ていたそうです。
口数が少なかったじいちゃんと会話をした記憶は正直なところあまりありません。
それでも私の記憶の中の思い出は暖かいものばかりです。
言葉や会話がなくてもそばにいることで人の暖かさは伝わるんだよ、ということを私はじいちゃんから教えてもらった気がします。
入職してまだ数ヶ月ですが、赤ちゃん・お母さん・ご家族が過ごす時間がたくさんの暖かい瞬間で溢れるよう、あおぞらで一生懸命お手伝いさせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。